【雑記】至るまで。

この記事は、私の自己紹介も兼ねてつらつらだらだらと執筆した記事になります。拙い文章で申し訳ございません。

本編

 八王子市上恩方町は緑豊かな過疎地である。
 僕が中学1年の時は、一つ歳下のH君とその弟君(当時で幼稚園年長さんくらい)の3人で遊ぶことが多かった。
 とある夏の日、僕直伝の川釣りをしようと彼らから誘いの電話がかかってきた。しかし、母と買い物に出かける予定であったため、それを断った。
 帰宅すると、固定電話の留守番電話ボタンが点灯していた。
「H君が亡くなりました。」
という連絡網だった。本当に信じられなかったし、信じたくなかったが、紛れもない事実であった。
 どうしようにもどうにもならず、罪滅ぼしの気持ちから、医者を目指そうか、看護師になろうかなどと考えもしたが、勉学に自身が無く、悩み続けた。
 そんなある日、見かねた母が消防団の食事会に誘ってくれた。そこに同席したのが、八王子消防署の職員であった。彼らから初めて「救急救命士」について教えてもらった。これがきっかけで、救命士を目指すことになった。
 俺はなんとか希望通りの大学へ進学し、救急救命士を取得した。大学在学中に日本の救命士が抱える問題(就職先不足や欧米のパラメディックとの差など)について知り、民間救急の必要性について卒論を発表した。
 東京消防庁へ入庁し、約11年勤務。コロナ禍を乗り越えたところで、ようやくみそぎの念も晴れ、民間救急事業の開業を強く意識するようになった。そして、退職した。
 私は幸運にもビジネスパートナーを見つけ、彼の紹介で民間救急業界では3本の指に入るであろう企業の力をお借りし、フランチャイジーとして八王子市に支店を構えようと考えた。
 いよいよ始まろうとしたある日、突然、不仲であるはずの妹から電話が掛かってきた。嫌々電話に出ると
「にぃちゃん!ママが!ママが!」
取り乱した妹の声が受話器越しから響いた。似たような状況を散々対応してきたため、現在の状況を聞き出したところ
「耕運機に覆いかぶさっているの。首に掛けてたタオルで締まってるの。助けて。」
とのことだった。
「背中側からでいいから胸骨圧迫のようにやるんだ。とにかく向かうから、救急隊が来るまで圧迫しててくれ!。」
引っ越しの作業の真っただ中であったが、妻と共に急いで実家へ向かった。
 現場には、すでに八王子消防署の消防隊と指揮隊が到着していた。偶然にも、大隊長は共に働いたことのある顔見知りであった。
「関山!?何で此処にいるんだ!」
「私の母です。ご迷惑をお掛けします。」
「すまん、そうか。とにかくこっちに来てくれ。」
「はい。」
足取りは共に速くはなかった。母はすでに仰臥位にされており、救急隊長が歩み寄ってきた。
「お世話になります。息子です。救命士です。」
「あ、、、。そうなんですね。では、」
「いや、ありがとうございます。ここからは自分で確認させてもらってもいいですか。」
「はい、もちろんです。」
 顔色紫青色、瞳孔両側散大、下顎硬直あり、頸部に絞扼痕あり、体幹部やや温感あり、左側腹部に発赤(約15cm程度、こすれた様な太い線状で複数箇所)あり、左上肢屈曲時に抵抗感あり。
 ここまで確認したところで、八王子医療センターのDMAT(災害派遣医療チーム;Disaster Medical Assistance Team)が到着した。
「息子さん、救命士さんなんですね、、、、、大変残念ですが、私たちではこれ以上手の尽くしようがありません。大変申し訳ございません。」
「いえ、お忙しいのにありがとうございました。」
 そんなやりとりをしていたところ、聞きなれた軽トラックの走行してくる音が聞こえた。私は先生に軽く会釈し、音の方へ歩き出した。
「隆人、どうなんだ。」
「うん、とにかく一緒に行こう。」
「おぅ。」
不機嫌そうというか、なんとも言えない表情の父は私の前を歩いて行った。
「嘘だろ。そんなのねぇよ、まこちゃん。」
大の大人が、父親が、震えた声で周りなど構いなしに喚いた。
「ごめん。もう分かるかもしれないけど、もうどうにも助からない状況なんだ。俺もついさっきよく確認した。先生からも説明があって、俺ももう大丈夫です、ありがとうございましたって断ったとこなんだ。ごめん。」
「、、、、、、わかった。消防隊の方々もありがとうございました。」
深くお辞儀する父をなんとも言えない心情のまま眺めていた。
 享年58歳。持病もなく、仕事の合間に耕し直した畑だった。散り散りになった家族が畑を通じて集まることが多くなっていた。いつかたくさんの人が集まってくれるような綺麗な畑にしたい。そうも言っていた。
あまりにも突然の別れであったが、初めての感覚ではなかったため、気味が悪いほど涙は流れなかった。
 翌日、妻が言った。
「子供できたかも。」
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はやく孫の顔見せてね、隆人。
          はいはい。
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そんなトーク履歴が頭をよぎり、悔しく、申し訳ない気持ちになった。
 葬儀と納骨が終わると、傷心なんてしている暇もなかった。なんちゃらは暇なしとはよく言ったものだ。
 意地になり約3か月、民間救急をやってみたものの、売り上げは思わしくなく、あっという間に資金ショート。
本社からリースしていたものを返却した。残ったのは人脈と家族だけだった。
社長は
「言い方は良くないかもしれませんが、ビジネスなんてこんなもんですよ。」
と声を掛けて下さった。
 最後の月の売上は、諸々の補填に回り、自身の生活費もままならない状況になった。
 兎にも角にも、生活費を稼がなければならず、片っ端から求人を調べた。ビラ配りを使った小手先のアイデアは決して上手くは行かず、広告会社には迷惑を掛けていたものの、そんなことよりもいよいよ何か定職につかなければという風に焦っていた。
 目に止まったのは警備士募集の文字。これであれば何とか働けるだろうという浅はかな期待を胸に、面接を受けた。しかし、希望していた自宅近くの商業施設は充足しているようだった。次を探そう。帰宅したところ、先ほどの面接官から着信が入った。
「内勤って興味ありませんか。」
正直言って、内勤が何かもよくわからなかった。
「妻と考えさせて下さい。」
自分の心境が、状況が、面接官には見え据えていたいたのだろう。ダブルワークになっても良いとの言葉があり安堵し返答した。
「お願いします。」
 こうして、警備業界にも足を踏み入れることとなった。
 研修を終え、いよいよ指令室の方々とお目見えとなった。職場の雰囲気は非常に良く、どなたも人当たりが良く温かかった。久々の温もりに自然と目頭が熱くなった。これまで漠然としていた警備という仕事が、どれだけしっかりしていて、どんなに大変な仕事なのかが短期間で知ることが出来た。同時に、前職がどれだけ恵まれていたのかもようやく理解した。しかし、後悔はない。こうした経験を基に前職よりも働きやすく、楽しく、もっと稼いでやればいい。
「家業を一緒に復活させよう。」
永い眠りについていた有限会社高千穂産業の鼓動はこうしてまた、再開し始めたのである。
 我が子に想いを秘めて。
  ー 月と共に翔ける。日出ずるまで。

最後までご拝読頂きましてありがとうございました!

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